1学期が終わりました。
この学期末に、幼稚園部では2名の子どもを遠く離れた土地に見送ることになりました。
ひとりの子は、親御さんの仕事の都合でいずれ仙台を離れることは、およその時期も含めて入園の時からわかっていましたが、もうひとりの子はやはり親御さんのお仕事の事情になりますが、突然のことだったので心の準備が出来ていませんでした。
5月にみんなで仲良くコロナにかかり1週間休園したために、夏休みに入るのを遅らせたので、当初の予定より3日は長く保育できたのは幸いでした。
虹のこども園は15名定員1クラスのみの異年齢合同保育なので、年少で入った子どもたちは、3年間きょうだいのように一緒に過ごします。
当然私も3年間担任をすることになりますから、かなり長い付き合いになります。
長い付き合いになるので、思い入れもひとしおです。
そもそも保育士は、「親バカ」ならぬ「保育士バカ」になりがちで、保育園勤務時代も、担任しているクラスの子どもたちは、どうしてこうも園で一番かわいい子どもたちが自分のクラスに集まったのか、という錯覚に陥ります。
(これは年齢と経験を経るごとに、すべての子どもがかわいいのだ、という真実に気づいていくはずですが。笑)
保育士になりたて一年目は0歳児を担任したのですが、赤ちゃんのかわいさと、たった1年の間の成長の目覚ましさに、すっかり心を鷲掴みにされてしまいました。
人間の成長の大いなる節目を、目の当たりに、しかも独り占めしてしまうのです。
「立った!」「歩いた!」「初めて食べた!」「センセイ、って今、言ったよね!?」
毎日が感動の嵐です。
3月に担任を離れる時には、寂しくて夢にまで子どもたちが出てきました。
後追いされるほどに園では母親がわりとなり、こんなにも信頼関係を築いたのに、4月からは廊下であっても別の子どもの先生としてすれ違うなんて、子どもの心にトラウマを残すのではないかと、真剣に日記に書いていた自分がいました。
(この点は今改めて考えると、理想としては年齢が小さい乳児期ほど、安定した保育者との関係を維持できるよう、担任期間は長い方が良いのだと感じています。
この時代に子どもをお世話する人との安定した信頼関係は、その後の子どもの無意識の領域の世界への信頼感を育み、安定した人間関係に寄与すると思います。)
しかし、あまりに保育者の思い入れやかわいさが増してしまうと、それもまた大人のエゴを子どもに押し付けるものであり、危険です。
我が子しか目に入らない親御さんの偏った愛情は、子どものまっすぐ成長しようとする力を邪魔してしまうのと同じです。
20代の末にシュタイナー幼児教育を学び始めた時、私の尊敬する森尾敦子先生(現⼀般社団法⼈シュタイナー療育センター代表理事)は「子どもは乳母のような気持ちで接し育てなさい」というようなことをおっしゃられていて、ハッとしました。
乳母という者は主人に雇われた身であり、我が子のように愛情をかけ、命をかけて真剣に育てますが、ある日突然解雇を言い渡されれば、愛する子どもを置いて、荷物をまとめて出ていかなければなりません。
保育も子育ても同じで、天から縁あって出会わせてもらった目の前の子どもを大事に育てますが、決して「自分の(所有する)子ども」ではないのです。
暇(いとま)を出されたら、もしくは子どもが巣立つ時がやってきたら、その手を放して、力強く別れなければなりません。
子どもかわいさも日々の保育の後押しとなっていた自分には、この言葉が心底響き、その後この言葉の精神を引き受けるようにして、園を営んできました。
子どもは「今」を生きています。
大人は「過去」も振り返られるし、自分の「エゴ」も大きくなっているので、ついつい別れを大きく惜しみ、寂しくなったり、感傷的になったりしますが、子どもにとってはそれらは要らぬお荷物なのです。
笑って、見送る。
そして遠くから、健やかな成長を祈りつつ、すべての子どもの幸せもまた、いつも祈っていたいと思います。
(この連載は毎月満月・新月の更新です。次回は8/12満月の更新です。)
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