園に提出してもらう家庭調書のような書類があります。
園児の健康面のこと、出産時の状況(シュタイナー園では、子どもを理解する上で大切に考えています)や食べ物の好き嫌い、得意なことや苦手なことに加えて、「子育てする上で大事にされていること」も記入してもらっています。
新年度に提出された書類のその欄に「子どもの気持ちに寄り添いつつも、ダメなものはダメと粘り強く伝えていきたいと考えています。」と書かれたお父さんがいらっしゃいました。すごくいいなあと思いました。新鮮に感じたのです。
30年保育の仕事をしているなかで、社会も変化していき、それにともなって子育ての意識も大きく変わっていきました。
ここ最近の主流は「子どもの意志を尊重する」「やりたいことをなるたけやらせるようにする」「自主性を大事にする」といったところでしょうか。
もちろん、それらのどれも間違っておらず大事にしたいところなのですが、そのために大人はどんなスタンスで、どんなふうに関わればよいか?となると、迷走してしまうことが多いようです。
やりたい放題やらせることが、子どもの意志を尊重することにはならず、またそれによって自主性が育つわけでもありません。
大人が子どものお友達のようにして、「ダメ」というべきときに言えずに境界線を引いてあげることができないと、子どもは欲求不満になったり情緒不安定になったりして、かえってぐずりやすくなります。
子どもの意志に対して、「この一線は超えてはならない」という明確な態度を示すことは、子どものまわりに「境界線」を引いてあげることで、子ども自身もまたその「境界線」に守られ、安心して大きくなっていくのです。
よく講座でお話するように、子どもを叱るときの見極めは3つあります。
子どもがしたがっていることが
①その子にとって害になる時
②他の人にとって害になる時
③なんらかのダメージになる時 です。
①はシンプルにいうと「危ないこと」ですね。
②は他のひとに手をあげたり、石を投げる、寝ている赤ちゃんのそばで大声を上げることもそうです。
③はクレヨンで壁に落書きをするとか、お店の商品や大人の携帯電話や財布をいじる、ということも言えると思います。
この世で生きていくときに、衝動に突き動かされているだけでは本当に「自由」に生きることはできません。
自主性を育てるためにも、ここまではいいけれど、ここから先はいけないよ、とかここは触っていけないよ、という明確な境界線を示してあげることで、子どもたちは世界には見えない秩序があることを感じ、それを基盤に公平や平等という感覚を次第に身につけていくのです。
子どもとの関係が疲れる、と感じたり子どもに振り回されていると感じる場合には、こうした境界線の提示がうまくなされていない場合があるものです。
「ダメ」ということが悪いことなのではなく、「ダメ」と言ったならば発達年齢に応じて、代わりの案や方法を具体的に提示してあげればよいのです。
子どもはそうした大人の責任ある態度に安心して、世界への信頼を深め、自己肯定感を高めていくのです。
文・虹乃美稀子
「小さな声が聞こえるところ」は新月・満月の更新です。
次回は5月8日新月の更新です。