園では毎日、「いただきますのお祈り」と「お帰りのお祈り」をしています。
何かの宗教に依るものではありませんが、この世界のいのち全体を育んでいる見えない力への畏敬の念を育む土台として、子どもたちの暮らしの中に「祈り」があることは大切なことです。
「祈り」は、私たちの世界は目に見えるものだけで支えられているのではないという、世界を「信頼」できる力を育みます。
たとえば、食前のお祈りはこんなものです。
大地がこれらをもたらしました
太陽がそれを実らせました
愛する太陽
愛する大地
私たちは決して忘れません
こうしたお祈りは、子どもたちだけでなく、
一緒に祈る私たち大人の心も強めてくれます。
時々、保育の場でのお祈りの時にしっかりと目を瞑っている方がいます。
お祈りをする時には「自分自身の心に向かい合う」という意味で、目を瞑るものだと思われているのかもしれません。
でも、子どもとともにお祈りをするとき、私の目はしっかり見開いて子どもたちを見ています。
「目を開いている」ということは「意識がいまここにある、この場を共有してともにいる」ことを意味します。
共にいる空間の中で、目を瞑り、内的に自身の内側に没頭している大人の姿は、子どもには自分を置いてけぼりにされたような不安を感じさせます。
(もちろん、信頼関係のしっかり育まれた親子のご家庭での話ではありません)
子どもにとって、大人が目を瞑っていることは「この場を共有していない、ここにいるのにいない」状態を表していて、とても不安になるのです。
大人がふざけて寝たふりなどするのを、幼い子どもたちが嫌がったり怖がったりするのもそのためです。
心は、見えない大いなる力への畏敬の念に満たされながら、
目覚めた意識で、眼差しはしっかり子どもたちに向けている。
目を開いてしっかり眼差しを向けていることほど、愛情深い態度はありません。
「見守っている」眼差しは、肯定的な言葉や寄り添った応対をすることよりも、ずっと大きな魂への滋養を子どもたちに与えます。
眼差しは「対象に意識と関心を向けている」ということでもあります。
温かな眼差しこそが、愛なのです。
文・虹乃美稀子
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