人生は、なんと早く過ぎていくのだろう。
50代に入った今、人生の先輩たちが語っていた言葉が身に染みるように感じられる。
40代の頃は、人生はまだまだ長く続くように思っていた。
けれど、シュタイナーの七年周期でいう49歳を過ぎたあたりから、「残り時間」というものを、ぐっと意識するようになった。
身体の変化のせいか、引き受ける責任の重さのせいか。それとも、社会の変化があまりにも速いからだろうか。いずれにしてもここ数年、私はそれまでとは違う時間の中を生きている。
気づけば、園を創立して19年目の秋である。
私は人生の秋の、真っ只中にいる。
東日本大震災と原発事故、コロナ禍を乗り越え、子どもを取り巻く国の施策も大きく変わっていく中で、シュタイナー教育を柱にした定員15名というこの小さな園が(始まった時は定員8名)ここまで良くぞ持ち堪えたものと、感慨深い。
はたから見れば個人事業の小さな無認可園であるが、お金は勉強と実習のための移住と園舎も含んだ住宅ローンの支払いですっからかん。当初はアルバイトをしながら生計をつなぎ、園長兼担任を19年走り続けた私。
その間、子どもの大きな事故や私自身の怪我や病気もなく、ここまで歩んでこられたことは奇跡というか、何か見えないものの大きな守護の力があってのことと感じる。
そしてもちろん、その時々の同僚や保護者の皆さん、心を寄せてくれた友人、知人、家族の支えがあってこそである。
創立したのは、私が33歳の春。
その1年半ほど前から、今の場所でシュタイナー親子クラス「虹組」を始め、ほどなく週1回の未就園児保育クラス「虹の子組」が始まった。
当時は今のようなSNSもなく、チラシか口コミで親御さんたちが園にやってきた。
3歳まではお家で育てたいというお母さん方がまだ一定数いらして、そうしたお母さん方と子どもが一緒にシュタイナー教育をベースにして、手仕事を楽しんだり、歌や手遊びを楽しんだりという場所は当時珍しく、多くの親御さんが通ってきてくださった。
その「虹の子組」に通っていた数名の子どもの親御さんたちから「このままここを幼稚園にしてほしい」という声を受けて立ち上がったのが、今の「虹のこども園」である。初年度は確か週2、3回の保育日であったと思う。私が生計を立てるためのアルバイトを続けることが必要だったからである。
園は、私が創りたい、というよりも、創ってほしい、という声に押されて開園したというのが私の気持ちである。定員も限られた園は、経営的にかなり厳しいことになるであろうことは目に見えていた。何より親御さんにとって、何ものにも代えがたい子どもたちを自分が全責任を負ってお預かりするというのは、雇われた保育士とは全く違う立場になるから、その責任の大きさは考えると吐き気がするほどであった。
一方で、この場でいつの間にか始まっていたようなシュタイナー園は、それまで自分が積み重ねてきたいわゆる「一般的な」保育のアプローチとは全く質を異にするもので、県内ではまだどこにも実践者がいない自分がパイオニアになってしまった状況の中で、試行錯誤、暗中模索の日々が始まった。
それは、とてつもなく長い旅に出る、その最初の一歩だった。
大変なことはたくさんあった。けれど、それ以上にワクワクしていた。日々が、クリエイティビティに半ば強制的に満たされていく。そんな、想像もしなかった日々が始まったのだった。
あの頃、「虹のこども園」という船への乗船が、こんなに長い旅になるとは思っていなかった。
そして今、19年目の秋の深まりの中にいて、私はまだ見えない虹の向こうへ続く道の前にいる。

(文・虹乃美稀子)
この連載は、来年度園創立20周年に合わせて2026年10月から2027年9月まで全12回を予定しています。
毎月新月に、これまでの園の歩みから、園長の虹乃が今感じていること、子ども、人生、仕事、学び、創造そして未来について、書いていきます。
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