小さな人たちの前では、私たち大人はあまり感情を
丸出しにしないように気をつけています。
それは「感情の垂れ流し」をしないということです。
幼児は、大人のような感情の複雑さをまだ持ち合わせていません。
赤ちゃん時代の快・不快といったシンプルな感情から始まって、
心と体の成長とともに、様々な経験を重ねて少しずつその感情を複雑に分化させていきます。
そういった意味では子どもの心の内側を、
大人が持つ感情の物差しで推し量ろうとしても、
だいたい「的はずれ」か「とんちんかん」になりがちです。
子どもの感情はまだまだ体の状態とも分離できていないので、
「お友達におもちゃを取られるから園に行きたくないって言ってます」とか
「おじいちゃんが怖いから、一緒にお風呂に入りたがらないんです」なんてお話も、
たとえ子どもがそう言ったとしても、
実のところ本当の理由は違うところにあるか、
理由そのものが子どもにもよくわからないうやむやなものか、
身体的な理由(疲れているとか、眠いとか、消化のリズムが崩れているとか)があったりすることも多いものです。
さてさて、そんなまだまだ感情の芽が育っている段階の小さな子どもにとって、
人生の負荷を様々に体験してきた私たち大人の感情は「重ーい」ものです。
怒り!はもちろん、喜びも悲しみも、大きく表現してしまうと、
ただただ「重い」のです。
子どもが食事中にふざけが過ぎてコップの水を床に落として割ってしまったとします。
「何やってるの! ふざけてるからでしょ!」と大声を出してしまうと、
子どもは親の「怒り」の剣幕にフリーズしてしまい、
何が起こったかも吹き飛んでしまいます。
こう言ったときは、ただただ「驚く」表情だけをするのです。
「驚き」は、感情の伴わないそのままの表現です。
「驚き」の中の静けさから、子どもは自分が何をしてしまったのかを瞬時に察します。
そして大人はその後の「するべきこと」にしっかりと着手するのです。
つまり、怪我がないかを確認し、割れたガラスを取り除き安全に処分し、
濡れた床とテーブルを拭き、必要なら子どもを着替えさせます。
この一連を、大人が感情に飲み込まれずに、落ち着いて行うことを見せることにより、
子どもは自分が何をしてしまって、そして失敗した時にはどのように処理すれば良いかを、
見ること、つまり模倣を通して学びます。
人間の真の「賢さ」は、このように幼児期にそばにいる大人の暮らしの態度から育まれるものなのです。
「喜び」についても同様で、
たとえば子どもを褒めるにしても、大げさに手を叩いて褒めちぎられても、
子どもは本当のところは、そんなにうれしくないのです。
大好きなお母さんやお父さんが喜んでいる、ということをうれしいと感じることはあるかもしれませんが、本質的な感情の充足には至りません。
かえって「喜ばせるために〇〇をする」という
承認欲求的な行動を生み出してしまいがちです。
子どもが本当に認められてうれしいと感じるときは、
言葉や身ぶり手ぶりよりも
「アイコンタクト」です。
子どもはよく「お母さん、みて!みて!」「先生、みてて!!」と言いますね。
子どもは大人の視線を必要としているのです。
あたたかく、静かに見守る視線です。
「よくできたね」という場面があった時、
無言で静かにその目を見つめてあげましょう。
子どもは深い信頼と安心をその内に育んでいきます。
そして私たち大人もまた感情を無造作に外に流さずに慎ましく秘めた分、
その喜びは内側に静かに、深く染み入っていくのを感じることができるでしょう。
(この連載は毎月満月・新月の更新です。次回は7/21新月の更新です。)
文・虹乃 美稀子(園長/担任) 公立保育士として7年間保育所や児童相談所に勤務後、 シュタイナー幼児教育者養成コースに学ぶ。 南沢シュタイナー子ども園にて吉良創氏に師事。 06年、シュタイナー親子クラス開設 08年、「東仙台シュタイナー虹のこども園」開園 仙台・東京・岩手にてシュタイナー講座・子育て講座を通年開催 著書「小さなおうちの12ヶ月」(河北新報出版センター) Facebook|東仙台シュタイナー虹のこども園 Instagram|@steiner_nijinokodomoen |