今週の木曜日は、震災と原発事故より10年目を迎えました。
毎年この時期は、卒園と新年度の準備で保育の裏側はとても慌ただしく、ハードルを乗り越えるような日々です。そんな日々の中で、10年目の3.11を迎える今年は、先月久々の大地震に見舞われたこともあり、心がさわさわしながら迎えました。
毎年この時期は、卒園と新年度の準備で保育の裏側はとても慌ただしく、ハードルを乗り越えるような日々です。そんな日々の中で、10年目の3.11を迎える今年は、先月久々の大地震に見舞われたこともあり、心がさわさわしながら迎えました。
このエッセイにも、改めて何か書き記しておきたいと思いながら、おととい3.11の夜にこみ上げた思いを一気に書き上げてSNSに書き綴ったものが、私の中の今ある思いのすべてとなってしまいました。
SNSで先にお読みになった方もいらっしゃるかもしれませんが、改めてここに10年目の思いとして寄せたいと思います。
10年前の今日、最後の卒園児延長保育で製作中の坊ちゃん人形が出来上がったとたんに、グラグラと揺れはじめた。それはとても長く続いた。
私が子どもとお母さん方と園舎で待機していたころ、年若い仲間は閖上で波に飲まれた。翌日には、原発が爆発した。津波にさらわれた友とともに、いちばん危惧していたことだった。5日後に子どもたちをバスに乗せ、行く宛のあるひともないひとも、避難をした。かつて住んだこともある福島の浜通りには、人の住んではいけない場所ができた。
悪夢の中にいるようで、夢ではないのだと覚悟するまでに10年かかった。その月日はあっという間にすぎて、その長さを知る余裕は今も無い。でも、その悪夢とすら思えた日々のなかでも、たくさん笑い、たくさん喜び、たくさんの新しい夢を見てきた。そして、その夢は、今も続いている。10年後の今日も、この同じ場所で、あの頃の倍以上に増えた子どもたちと、やっぱり坊ちゃんを作ったり、歌ったり、踊ったりしていられることは、奇跡なんだ。
私たちは今日も、とてもしあわせだった。そして明日も、喜びながら、生きていく。植物が自然に日の光を向いて伸びるように、光の方へと歩いていく。生きてるひとも、死んだひとも、光の方に、みんないる。
生きている人の中には、先に逝った人たちもみんなみんな生きていて、
ともに世界に関わり続けている。
そんなイメージが、ずっと実感として感じられています。
巣立ちと出会いの新しい春は、もうそこまで、来ています。
(この連載は毎月満月・新月の更新です。次回は3/29満月の更新です。)