小さな声が聞こえるところ121「家庭訪問でのお母さんの言葉」

 わたしの園では新入園児とお引っ越しをした子どものお家には家庭訪問に行きます。今では家庭訪問をする園は少なくなってしまったようですが、子どもたちは自宅に先生が来てくれることをとても楽しみにしています。
特に新しく入った子どもは、いつも遊んでいるお部屋で、自分の大好きなおもちゃを先生に見せながら一緒に遊んだりすることで、心の距離がぐんと近くなり、まだ慣れずに行き渋っていた園を大好きになる子も少なくありません。

家庭訪問の目的は、ご家庭の様子を知ることと、それから通園経路を把握しておくこと。親御さんは初めて「家庭訪問があります」と聞くと、何か家庭の在り方(特に室内環境など)について、先生に指摘をされるのではと思ってしまう方もいるようですが、そういうことではなく、一緒に子育てをしていくご家庭の空気感、ご自宅の周囲も含めた環境などをこちらが把握しておくことで、子どもをより深く理解する保育の助けとしています。おみやげには園庭の草花で作った小さな花束を持っていきます。

時間は40分ほどですが、ついつい子どもに引き伸ばされて時間を押しがちに。それでも午後の長居はご迷惑になるので、1時間も過ぎれば失礼することになります。
帰りを切り出す時の子どもたちの残念そうな表情に、毎回申し訳ない気持ちに。でも、お名残欲しいくらいが、ちょうど良いものです。また幼稚園で待っているねと言いながらさようならをします。

ある家庭訪問でのこと。
以前はお子さんを保育園に入れてご夫婦で毎日忙しく働かれていたお母さんが、下のお子さんが生まれたのを契機にこちらの園に転園されてきたのですが、保育園時代はまるで「サンドイッチの中身を抜かれているような子育てで、大変なばかりで何も楽しいと思えることがなかった」とおっしゃっていたのが印象的でした。

「サンドイッチの中身」というのは、子どもが保育園で過ごしている日中の時間のことです。子どもにとって、日中の時間こそがゴールデンタイム。
子どもが天使のように遊びこみ、周りのすべてを命あるもののように向かい合い、関わり合う、目は離せないけれども一緒にいる大人も、幼い人といるからこそ味わえる特別の喜びや幸せをもたらしてもらえる黄金の時間です。

しかし、朝から夕方まで子どもが保育施設に行ってしまえば、そうした時間を共に味わうことはできません。
幼い子どもにとっておよそ長すぎる保育時間を過ごし、低年齢のうちから集団生活に入れられる緊張とストレスで疲れ切った子どもは、家に帰ると大抵は不機嫌で騒いだり泣いたりやって欲しくないことをやってみたりします。
世話をする大人も、自分の仕事を1日こなしてすっかり疲れた体でこうした状態の子どもに向かい合うことは大変なことです。

「保育園から帰ってきたら不機嫌な子どもにご飯を食べさせ、お風呂に入れてなんとか寝せて、朝になったらまた時計を睨みながらご飯を食べさせて、保育園まで連れて行って出勤して、、、子育てが楽しいなんて全く思えなかった。あんな暮らしでは、サンドイッチの中身は全部抜き取られているよう」とお話しされるお母さんの言葉に、深く考えさせられるものがありました。

大変な子育てを支援し、少子化に歯止めをと社会が賑やかになっていますが、本質的に子育てに必要なのは「ゆとり」=「今ここ」を楽しめるゆとりのある時間と意識、です。

今はなんでもお金で買えそうな錯覚がしますが、ゆったりとした時間の流れは人間の意識が生み出すもので、お金で買うことはできません。

自分で選択しない限り、お金があっても時間貧乏、ゆとり貧乏であり続けてしまうのです。今はなんだか社会全体が、ゆとりを失った意識になってしまっていて、その皺寄せが幼い子どもたちにきているような気がしてなりません。本当に大変なのは子育てではなくて、子育てを楽しむゆとりを持てなくなってしまった私たち大人の意識なのかもしれません。

(園長 虹乃美稀子)

次回は7月3日満月の更新です。

 

ABOUT

虹乃美稀子東仙台シュタイナー虹のこども園 園長
園長および幼稚園部担任他。
公立保育士として7年間保育所や児童相談所に勤務後、2000年に音楽発信ホーム「仙台ゆんた」を開き、アンプラグドのライブ企画など行う。
並行してシュタイナー幼児教育者養成コースに学び、南沢シュタイナー子ども園(東京都東久留米市)にて吉良創氏に師事。
08年仙台ゆんたに「虹のこども園」を開く。
民俗学とロックとにんじんを好む。1973年生まれ、射手座。

著書
『小さなおうちの12ヶ月』(河北新報出版センター)
『いちばん大事な「子育て」の順番』(青春出版社)