小さな声が聞こえるところ125「ギターとバイオグラフィー、夏休み」

新月から2日遅れての更新です。初の〆切間に合わず。
新月に覗きに来てくださった方がいらしたらごめんなさい。

夏休み中でした。いつも移動に持ち歩くPC、今回はオフの旅であったこと、滞在先が通信環境のない阿蘇の山中だったこともあり、持っていきませんでした。
10日間の旅行中に新月があることも忘れていました!

PCの代わりに担いでいたのは、ギター。
SNSにちょこちょこと書いていますが(自分を奮い立たせるため)、この2年ほどギターを意識的に練習しています。
ご存知の方も多いかと思いますが、私は虹のこども園を開園する前はこの場所で「音楽発信ホーム仙台ゆんた」と名付けたアンプラグドのライブハウスをしていました。
アコースティックロックが、小学生時代から好きです。

高校生の頃は、学校に行かずライブハウスとスタジオに通っていました。
おかげで退学しかけましたが、良い先生に恵まれたお陰で卒業まで導いてもらいました。保育士時代もライブ企画を行なっていて、気づいたら「ゆんた」が生まれていました。
そんなこともあって、私は音楽をやる友人が全国に多いです。
ひとえに音楽を愛するつながりで育んできたご縁です。

20代の頃憧れてもらったギターを手元に置いていましたが、Fコードを押さえられるようになった辺りでシュタイナー教育に本格的に取り組み始め、ずっとそのままになっていました。

それから20年ほど経ち、2年ほど前から「生きているうちに」自由にギターが弾けるようになりたいと、ギタリストの友人に頼んで定期的に教えてもらうようになりました。
教えてもらうと言っても、特にメソッドはありません。
私は幼児期から大手の音楽教室に長く通ってエレクトーンをやりましたが、そうした音楽に関して植え付けられた観念や知識が、逆に新たな楽器の習得において邪魔をしていると感じることもありました。

ロックをやる人の多くが、独学で音楽を習得しています。
彼らの習得の基本は「耳」です。「頭」ではありません。
耳で、体でリズムもメロディーもハーモニーもつかまえるので、楽譜なしのセッションが可能になります。
これは民俗芸能にかなり近い世界です。
神楽や囃子、舞といったものも、基本的に譜面や指南書はなく、耳と目、体で伝授されていきます。そうして数百年にもわたって、時に世界の舞台で披露できるほどの一流の芸術を育てていきます。名もなき土地の人々が、暮らしの中で継いでいく芸術です。

さて、私のギターはというと、残念ながら目覚ましい成長は見られません。
なのでこの夏休みは、気合を入れてミュージシャンの友人たちがたくさんいる九州へ修行に行ってきました。ろくに弾けないギターを背負って旅をするのは、気恥ずかしいものです。

九州には、同じように同じ世代でベースを始めたり、ウクレレを始めたりしている友人たちもいるので、彼女らと励ましあいながら練習合宿をするという楽しい時間もありました。10代の頃、やはりろくに弾けない仲間が集まってバンドを組んで、ワクワクしながらスタジオに入ったり、ライブをした30年前を思い出します。
年を重ねるほどに、純粋な友人というのは宝であることを感じます。

シュタイナーのバイオグラフィーから見ると、私がギターに再び取り組み始めた40代後半はからだが衰える一方で、精神的な創造性を発展させるのが課題の時期と言われます。「どんな才能や可能性をこれまで葬りさってしまったか」を自分に問いかけ、新たに挑戦したり、発展させるときです。
そして49歳以降は、それまので忙しい現役時間を次第にシフトさせて、新たな人生のリズムを獲得していく時期に入ります。

私にとってギターは、思ったように指が動かない、リズムが刻めないという身体の領域の挑戦であり、若い頃あきらめてしまった「憧れ」という魂の領域の挑戦であると同時に、これからの人生の生き方と再創造や創作活動といった霊的な領域へのアプローチでもあります。

人生は、ローリングストーン。変化し続けます。
(シュタイナーのバイオグラフィー、面白いですよ。)

次回は8月31日満月の更新です。

 

ABOUT

虹乃美稀子東仙台シュタイナー虹のこども園 園長
園長および幼稚園部担任他。
公立保育士として7年間保育所や児童相談所に勤務後、2000年に音楽発信ホーム「仙台ゆんた」を開き、アンプラグドのライブ企画など行う。
並行してシュタイナー幼児教育者養成コースに学び、南沢シュタイナー子ども園(東京都東久留米市)にて吉良創氏に師事。
08年仙台ゆんたに「虹のこども園」を開く。
民俗学とロックとにんじんを好む。1973年生まれ、射手座。

著書
『小さなおうちの12ヶ月』(河北新報出版センター)
『いちばん大事な「子育て」の順番』(青春出版社)