長い休みがあると、心身のリズムを取り戻すのに時間がかかるのは、大人の私たちもよく感じること、子どもなら尚更です。多くの子どもにとって居心地のよい家庭から、何かと(良くも悪くも)ストレスのある集団生活に戻るのは、億劫なものです。
また、心の成長の節目で、なんとなく学校のありようや友達との関係に馴染めなかったり、違和感を覚えて「学校に行きたくない」ということもあるかもしれません。
お子さんに理由を聞いてみても、これといった原因があるときもあれば、ない時もあって、子ども自身もどうしていきたくないのかよくわからない、ということもあります。
そんなときは、それ以上あれこれ理由を追求せずに休ませてあげてよいです。大人でも自分が本当にストレスを感じている原因については、なかなか思い至らないことがあるものですが、子どもはもっとわからない場合が多いのです。
そういったときには、学校という「現場」を少し離れて、家庭で心を休ませるのも大事な選択です。
ただ、学校を休んだら、できるだけ何かお手伝いをしてもらうことをおすすめしています。今は、生活が便利になり、ありとあらゆるものが電気仕掛けでスマートになり、子どもがお手伝いをする場面が減ってしまっていますが、特に小学生以上の子どもにとって、「暮らす」能力を身につけておくことは、生きる力の根っこを育てる具体的な課題でもあり、大人になったときに人生の質を左右していくところです。
お皿やお風呂を洗うこと、掃除機がけやお米を研いで炊飯器に仕掛けておくことなど、お手伝いをすることで、子ども自身も「ズル休みした」といった罪悪感をもたずに済みます。学校で授業を受けるのを休むかわりに、家庭において何かに取り組むことがあるというのも、年齢に応じて大切です。家にいるからとゲームやスクリーン視聴三昧になってしまうのは、近い将来に引きこもりなどを助長するきっかけを作ってしまいます。
一方、子どもの気持ちに寄り添おうとしすぎて、子どもが学校に行くきっかけを知らず知らずに親が奪ってしまうこともあります。
コロナ禍後、不登校はますます増えて昨年は29万人と過去最多となっています。
教育の行き詰まりや、学校システムの硬直化などいろいろな指摘がなされますが、学校・家庭問わず大人のの意識も暮らし方も多様化していくなかで、子どもたち自身が右往左往させられているというのが実情のように感じます。
子どもの気持ちに寄り添うことは大事ですが、ただ休ませる、学校に行かなくて良い、と判断すれば解決なのではありません。
特に小学生は、幼児期を脱し、学校という社会のなかで友達や教師との様々な人間関係のやり取りを通して、心の中の感情を豊かに耕していくときです。時に自分でも戸惑うような新しい感情の芽生えや、さざなみを体験しているのかもしれません。
そしてそうした経験もまた、子どもの成長の大事な糧となることが多く、7歳以降の子どもが集団生活を経験することの大切さでもあります。
お子さんが「いきたくない」と言った時には、親御さんがお子さんとしっかり向き合うよい機会でもあります。家庭が忙しすぎたり、家族関係が不安定な時も、子どもは心の元気が失われて、些細なことで「いきたくない」と訴える場合もあります。
どちらにせよ、子どもの「いきたくない」はなんらかのSOS、子どもの心の成長の大事な場面と捉えて、見守ってあげたり、暮らしを見直すよい機会になるのではと思います。
文・虹乃美稀子
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