時折、少しからかうように聞かれることがあります。
堅物なイメージだったり、まじめで世間知らずだろうと暗に揶揄されることも、実際少なくないのです。
そしてそんな肩書きの人が「〇〇教育」などという西洋人の名前を冠にした教育などを実践しているとなると、それだけで形式ばったことをやっているように思われて、あなたがよいとそんなに言う教育で、果たして子どもはどれだけ立派になっているのか、と問われるわけです。
そんな時に私は涼しい顔で、「その子らしくなっていますね〜」と言います。
なんだかはぐらかしているような答えかもしれませんが、でもそうなのです。
私は、私らしく。
みきこは、みきこらしく。
みきこ以上にも、みきこ以下にも、なれません。
でも、そのみきこらしく、いることって、なかなか簡単なことではありません。
でも、みきこらしくいたいから、ここまで手探りで生きてきた。
これからも、私らしく生きていきたい。
それを外からの力で侵されそうになるときに、私たちは尊厳を奪われると感じるのではないでしょうか。
「私らしく」あるということは、人間としての尊厳を守ることです。
なぜなら「私」を「私」と一人称で呼ぶこの「自我」の意識こそが、
人間が他の動物たちとは違う存在であることの、いちばんに違う点だからです。
どんなに家族のように心通い合わせて暮らしている犬や猫でも、
人間とは決定的に違います。
それは、彼ら動物には自身を「わたし」と一人称で呼ぶ自我意識がないからです。
自我意識がないからこそ、私たちは彼らをペットとして飼うことができるのです。
自我意識をもつ人間を、ペットとして飼うことはできません。
それは奴隷を持つことと同じになってしまいます。
人間は、自我をもち、その自我らしく生きようとする本能欲求があります。
それを支えるのが、教育です。
大人になった時に、自分が何をしたいかがわかり、それを責任をもって取り組むことのできる自由な人間であることを目指しているからです。
「私らしい」ありかたに、世間の価値はなんの要もないのです。
ですから「私らしい」ということは、つまり「人間らしい」ということです。
急速にAI時代に突き進む世界のなかで、「人間性」ということが何かと問われています。
その人間性を支える基盤は、「私らしさ」です。
その唯一無二のそれぞれの子どもが携えてきたオリジナリティを、大事にしたい。
そこにシュタイナー教育の本質があるのだと思います。
文・虹乃美稀子
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「小さな声が聞こえるところ」は新月・満月の更新です。
次回は10月3日新月🌑の更新です。
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