シュタイナー園で行われている人形劇は、一般に子ども向けに行われている人形劇と少し変わっています。
いや、「少し」と思うのは私がシュタイナー園の教師だからで、見る人によれば「だいぶ」変わっているかもしれません。
人形には目鼻がついていません。いわゆる「のっぺらぼう」です。
立ち人形でも、操り人形でも、その動きはとても静かです。
人形の演じ手は、特に隠れません。黒子になることをせず、普段着で演じます。
語り手も、声色を使わずに穏やかに淡々と語ります。
舞台は作り込まずに、子どもたちが普段遊んでいるおもちゃを使って作り上げます。
静けさのなかで、物語が進んでいきます。
ここまで書くと、なんだかとても平淡な舞台を想像されるかもしれませんが、
上手に演じられた人形劇は、子どもたちを静けさの中に引き込みながら、
その内面では心を大きく躍動させます。
のっぺらぼうの人形の中に、さまざまな表情をそれぞれに浮かび上がらせ(これが人間の想像力・創造力の源となる”表象”の力を育てています)、感情を抑えた語りの中に、まだ未分化な感情の中で生きている子どもたちを大きく揺るがすことなく、物語の中の登場人物たちの素朴な性質にその子らしいアプローチで同調できます。
「子ども向け」の人形劇は多種ありますが、多くの場合、のめり込む子がいる一方で保育現場では必ず「怖がる」子が出てくるものです。
大人が作り込んだ舞台や、人形や、声色が、子どもによっては過度なリアリティを持って迫ってきてしまい、怖くなってしまうのです。
それだけ、人間が人形を使って演じる劇は、力があります。
保育者が演じる人形劇は、子どもの精神的な成長に寄り添った、子どもの内面に馴染むものであることを心がけることが必要です。
「うまくいった」人形劇は、どの子も大好きで物語の世界に没入できます。
しかし、これはなかなか難しい。
”シュタイナー的”人形劇を試みたからといって、子どもたちをファンタジーの世界に簡単に誘うことはできません。
外側だけ真似してみても、目に見えない実の力がそこに働いていなければ、逆に舞台は大変空虚なものになってしまいます。
シュタイナー教育が誤解されてしまうことの多くに、こうした目に見える手法は真似できても、内実が追いつかぬまま、世間にシュタイナーのタグ付けで紹介されてしまうあれこれが、増えているからかもしれません。
「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ。」
そう言ったのは、サン=テグジュペリ作の『星の王子さま』でしたね。
いま、園では今まで人形劇に挑戦したことのない先生たちが、新しく人形劇の練習を始めています。
まずは「マーシャとくま」から。
新たな練習を始めながら、本当に人形劇って難しいな、と感じています。
そして、やっぱり、すごく楽しい。
静かな熱が、生まれています。
目に見えないことを、大事にしていこうと思います。
(文・虹乃美稀子)
「小さな声が聞こえるところ」は新月・満月の更新です。
次回は12月1日新月🌚の更新です。
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