今年のアドヴェエント(クリスマスの待降節)は新月の日曜日に重なりました。このエッセイを書いているまさに今日が、アドヴェント入りの第1日曜日です。
アドヴェントは、クリスマスを迎える週の日曜日からさかのぼって、4週間の期間を指します。
今日の夕方、幼稚園部の子どもたちは保護者さんとともに暗くなった教室に集まり、自分たちで作ったみつろうろうそくをさしたリンゴを手に、教室の床にしつらえたモミの渦巻きの間を歩き火を灯すセレモニーをします。
日曜日なのでお父さんの参加も多い行事です。
園では、こうした季節の祝祭行事を大切に祝っています。
祝祭は、宇宙の天体の動きと関わりが深く、暦と関係が深いものです。
日本人もまた、他の多くの民族と同じように、暦を通して、季節を祝って来ました。
お正月、節分、ひなまつり、七夕、お月見、、、。
日本は農耕民族でしたから、自然と農事暦に関わる行事も多かったものですが、暮らしが変化していくとともに、農事にまつわる行事は忘れられてしまったものも多いかもしれません。
本来、宇宙の天体の動きと関わり深く祝うこれらの行事は、私たちの中に見えないもの、宇宙的な働き(神の力)を宿すものとして祝う、意識的な神との結びつきのためにありました。
シュタイナーの思想では、大宇宙と小宇宙(自己認識)は結ばれており、私たち自我の大元が宇宙にあり、その宇宙のリズムを知ると、自らを知ることができる、という考えのもと、季節の祝祭は宇宙と自分との”呼吸合わせ”として大切にしています。
ところで、どうしてシュタイナー教育ではキリスト教の祝祭である「クリスマス」を祝うのでしょう?
これは、キリストがあらわれたことを「事実」としてとらえているからです。
「信仰」として捉えているわけではありません。
シュタイナーの興した人智学=精神科学は、“信じることから観ること(認識)へ” という姿勢を大事にしました。
信じなくても、誰でも認識できること。
思考を高めれば、わかること。
ですからシュタイナー教育は、あらゆる宗教に属することなく実践されていますが、キリスト存在の重要性を大事にしています。
十字架の上で血を流すという、人類の歴史において大きな犠牲を払った行為の中に、「自我の誕生」という人類の意識進化の重要過程を観ているのです。
(紀元前は人類の一部の人間しか、現代人の持つような自我意識を持っていなかった、と考えています。)
こうした考えは、馴染みのない方には突拍子もないように感じられたり、また簡単にわかりやすく書きすぎると誤解を生じたりしますので、興味を持たれた方はぜひシュタイナーの本に当たってみてください。
人類の長い進化の歴史のなかで、現代は、私たちひとりひとりが「私」として決断したい時代に来ています。
「私らしさ」やオリジナリティというものがとりわけ重要視されるのは、時代における進化がもたらす必然的な衝動でもあるのです。
この「自我」の力による、認識への道がアントロポゾフィー(人智学)です。
「ひとりひとりの心の中に、教会を打ち立てよ」(R.シュタイナー)
教会は自分の外界にあるものではなく、自身の認識の力の中にあるー
そのことにも立ち返らせてくれるのが、アドヴェントの4週間です。
(文・虹乃美稀子)
「小さな声が聞こえるところ」は新月・満月の更新です。
次回は12月15日🌕満月の更新です。
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