年長さんたちは、もうすぐ1年生になる期待と不安が膨らむ頃。期待が大きいのか、不安が大きいのかはその子によって様々です。
「ランドセル買ったんだよ、〇〇色だよ!」とうれしそうに教えてくれたと思えば、
「学校本当は行きたくない、ずっと幼稚園で遊んでいたい」と同じ口から言葉が漏れ出すことも。
振り子のように揺れ動く心を感じながら、それも成長の証だと感じている担任です。
さて、学校への「就学」は世界中見渡してもおよそ6歳前後です。
どうしてこの時期が「就学適齢期」とされるのでしょう。
この時期、子どもたちの体型はいわゆる頭が大きくて胴体がぽちゃりとしている幼児体型を脱して、手足が伸び、スラリとした児童体型に成長していきます。
体型の変化とともに、幼児期を卒業する大きなサインが歯の生え変わりです。
シュタイナー教育ではこの歯の生え変わりを幼児期から児童期に移行する大きな身体のサインと見ています。

歯は、人体で一番強固な物質であるエナメル質で形成されています。
このとても硬いエナメル質を生み出す生命力(エーテル体)が、永久歯を作る活動を終えて、歯の生え変わりが終わると、思考の形成に関与するようになります。
もちろん、エナメル質の形成を終えた後も、そうした生命力は臓器の維持や再生活動としても働きますが、思考の形成に用いられることにより、記憶をしたり、抽象的な学習ができるようになるのです。
私たち大人も、疲れ切ってエーテル体が弱っていると、忘れっぽくなったり、ものを考えることが億劫になったりしますが、記憶や思考の形成はエーテル体が担っています。
幼児期から文字や数字を教える早期教育の弊害は、現代では脳科学など一般的な学問において証明され警告されていますが、シュタイナー教育の観点から見ると、早期教育を施すと「子どもの生命力を弱める。」と考えます。
つまり、歯の生え替わりといった大事な体の成熟に使われず、思考の力を前借りして使わせることで、体がしっかり完成しないのですね。
その弊害は大人になってから(しかもだいぶ歳を取ってから)様々な不具合になって現れてくるのです。
他の子より少し早く計算ができたり、アルファベットが書けても、一生を生き抜く身体の形成が目に見えない内部で滞ってしまうことの方が、その人の一生を考えた時に大きな損失であると言わざるを得ません。

学校に上がるために必要な準備は、実は勉強の準備ではありません。
就学に必要なのは「思考と記憶の成熟」です。
年長児たちは就学が近づくと、例えば園で毎日耳だけで聞く昔話のようは物語を、最初から最後までお話しすることがで来たりします。
自分が経験した園での出来事、家庭での出来事も、印象を語るだけでなく「説明」することができます。
自分が伝えたいことも、詳細に表現することができます。
身体もより器用さを獲得します。
なぜなら身体感覚と言語感覚は繋がっているので、言葉を巧みに使えるようになるということは、身体もまた器用になっているということなのです。
子どもの発達の成熟度を見るには、以下のような観点があります。

·片手でボールを放り投げて、それを両手で受け止める
·バランスをとる
·片足で斜め右、左、前、後ろ、両側へ飛ぶ
·つま先で立つ、歩く
·指で細かい作業を行う(編み物や糸通しなど)
·テーブルを拭く、食器を洗う、拭く、など。
·一人で服を着て脱ぐ。小さなホックやボタンの開閉、靴ひもを結ぶ。
(参考「小児科診察室」)
学校に上がるとなると、つい「字はもう読めるかな?」「名前は書けるかな?」といったわかりやすいところに気を向けがちですが、こうした成長の全体的なバランスを気にしてあげることのほうが実はとても大事です。
なぜならこうした就学前の準備が体を通してできていないと、学校やクラスという共同体に適応する社会的な就学成熟度に達したとは言えないからです。
今は「適応する」という言葉にネガティブな印象を持つ人も少なくないかもしれませんが、例えばお友達と仲良くすること(先生の助けを借りても自分の利害と他の友達の利害を調和させること)や、先生がみんなに向かって話していることを、自分ごととして捉えることができること、周りの要請に対して「耳を傾ける」ことができ、また自分の要求や経験も伝えられることというのはとても大事なことです。
学校生活は学習の獲得だけではなく、こうした社会性の基本を身につけるための場所でもあります。
そしてこうした社会的就学成熟度は、バランスの良い身体性の上にしか育まれないものなのです。
身体を使ってたくさん遊んだり、様々な生活家事を経験することの意味はここにあります。
ぜひたくさんの「お手伝い」や「外遊び」も経験しながら、楽しい学校生活が安心して始められますように!

次回は2月17日新月の更新です。




