真夏、夜も深まる21時過ぎ。
普段は昼間でも人気の少ない、山奥でひっそりと静まる神社が、多くの人で賑わっています。
ここは岩手の霊峰、早池峰山に座する早池峰神社。
年に一度8月1日の例大祭の前夜は「宵宮」と言い、夕方から深夜まで、世界遺産にも登録された「早池峰神楽」が奉納されます。
私は、日本に古くから伝わる祭りを見るのが好きです。
農耕民族である日本人は、天体の動きと地上の四季とに呼応した素朴な祭りを大切にしてきました。
その中で、名も無き農民たちがその生身の身体でクリエイトしていった神楽や様々な民俗芸能は、現代においてもプロのダンサーや能楽師に引けを取らない技術と表現力を秘めていたりします。
そういったものを山奥に探し尋ね、見つけることは、まるで宝探しのような面白さがあります。
昨日もそんなわけで、暗い山中の道を軽自動車で走り飛ばし、神社にたどり着きました。
遠い昔に修験者によって遠く西国から伝えられたであろう芸能は、このみちのくの寒村に冷凍保存されたように残っていました。
そして、今でもその稀有な舞の数々は、伝承を引き受けた村の若者たちに熱を持って引き継がれています。
神楽の奉納は数時間続きます。
ずっと座って観てばかりではお尻が痛くなりますから、時折立って境内をふらりと散歩に出ます。
見上げれば、満天の星。
提灯が静かに揺れる暗がりの山の参道は、なかなかの坂道です。
足元は見えません。
砂利で滑らぬよう、注意深く一番下の鳥居まで歩いて降りていたところ、その脇をまだ小さな小学生ほどの男の子が転がるように走りすぎて行きました。
まるで、天狗の子のように。
その瞬間、時空が変わったような不思議な印象に包まれました。
普段は昼間でも人気のない、山奥の集落の神社です。
そこに、年に一度、人が全国からどっと集い、杉の大木の根っこに腰を下ろしてお酒を飲んだり、たこ焼きをつまんだりしている。
山の向こうまで、太鼓の音が鳴り響く。
祭殿では異形の面をした者たちが、踊り狂っている。
そして、普段はとうに夢の世界にいるはずの子どもたちが、自由自在に真っ暗な山の中を走り回っているー
そう、この光景こそが、私たち日本人が、いやおよそ世界中の民族がそれぞれの文化の中で育んできた「祭り」であり「ハレ」の時空間なのです。
日本人はその世界観として、民俗学などにおいて祭りや年中行事などのいわゆる祝祭の時空を「ハレ」と呼び、それに対して普段の暮らしである日常を「ケ」と呼んで区別してきました。
天候の「晴れ」という語義も、現代では単に晴天であることを指しますが、本来は長雨などが続き、久々に晴れ間が見えた時の節目を持って「晴れ」と称したと言います。
こうした節目によって意識とその言動を切り替える行為は、人々の暮らしに緩急のリズムを創造し、季節の祝祭として祝うことで、マクロコスモスである宇宙とミクロコスモスである人間の呼応というリズムを生み出しました。
それは、私たち人間の生命が地上で健やかにあるための必須のリズムであったとも言えます。
こうしておよそ何千年、いや何万年にもわたって営まれてきたであろう、宇宙と人間の呼応の営みは、19世紀からの急速な工業化・科学優先主義によって、人類の歴史にとっては瞬きのようなスピードで消えさろうとしています。
しかし、私がよく講座でお話ししますように人間の成長というのは古代より生物としては不変であり、個体の生命は人類の進化を追うようにして成長していくのです。
ですからどんなに世の中が変化していっても人間の成長にとって、古代から大切にしてきた「ハレ」と「ケ」のリズムのある暮らしというものは、特に人間の一生の土台作りをしている幼児期には欠かせぬものなのです。
シュタイナー教育で、季節の行事を非常に丁寧に、その意味を理屈で説明することなく感覚体験重視で行っているのはそのためです。
暮らしに生み出すリズムを大切にしましょう。
都会にいても、季節の回りを愛でること、行事を大切にすること、昼と夜の区別を明確にして暮らすことは大切です。そうしたことを意識することは、私たちの生命力を活性化してくれます。
特に、その心身を日々活発に成長せている子どもたちにはとても大切なことです。
24時間営業、365日開店。
盆も正月もないような社会の在りようは、必ずやどこかで病んだ状態を生み出します。
21世紀における「ハレ」と「ケ」のリズムとはどんなものなのか。
私たちは、これからの未来における、宇宙との呼応する暮らしを創造していくことが求められているのです。
(この連載は、毎月新月・満月に更新されます。次回は8/15満月の更新です。)
文・虹乃 美稀子(園長/担任)
仙台市の保育士として7年間保育所や児童相談所に勤務後、 06年 園の前身となるシュタイナー親子クラス開設 Facebook|東仙台シュタイナー虹のこども園 |