小さな声が聞こえるところ70「コロナ禍の保育で思うこと」

 今日の満月は、「スーパームーン」の皆既月食が見られると新聞にありました。太陽と地球、月が一直線に並び、月が地球の影にすっぽりと入る皆既月食が、月が地球に最も近づいて大きく見える「スーパームーン」と重なるのが珍しく、同条件となったのは前回は97年9月、次回の皆既月食は2022年11月になるとあります。

思わず「次の皆既月食の頃にはコロナは収束しているかしら、、、」と考えてしまう自分がいます。新型コロナウイルスという21世紀の疫病が流行りだして、早1年半が過ぎました。人との接触をなるたけ避ける、マスクを常時着用する、会食をしない、といった今や「当たり前」になりつつあることの数々が、子どもたちの育ちに影響する数々のことを、コロナの流行り始めは様々に語られましたが、そうしたことが話題にのぼりにくくなってきたのを感じます。

新学期が始まり、新しい子どもたちを迎えて「あれ?」と気づいたことがあります。
年齢なりの子ども同士の関わりができずに困っていることが多いのです。仲良くなりたいのだけれど、どうしていいかわからず、お人形の顔を撫でるようお友達の顔を無造作に触り続けて嫌がられる。やめて!と言われても、ペッタリと抱き続けてしまう。関わりたいけれど、うまくいかずに手や足が出てしまう。
身体接触を本能的に求めるような姿です。
これらすべていじわるをしているのではなくて、すべて「一緒に遊びたい」なのです。

一方で、お母さんと離れたがらないのは朝のつかの間で、園生活への爆発するほどの喜びもまた感じます。公園にお散歩に行く時、みんなで料理をする時、お庭で砂遊びする時、歌ったり踊ったりする時、どれもこれも目をキラキラさせて、すべてを吸収しようとする年少さんたち。時に前のめりすぎて、こちらが圧倒されるほどです。

コロナ禍でこの1年間、ほとんどよその子どもとの交流がなく、お母さんとお家にいたという子どもが多い現状です。2歳児なりの社会との関わりが減ってしまっている現状を肌で感じています。これは家庭にいる子どもたちに限らず、もっと低年齢から集団保育の場にいる子どもたちにとっても、集団保育の場なりの影響が出ているであろうことは容易に推察できます。

すさまじい勢いで成長をしている乳幼児期の子どもにとっての1年は、大人の1年とは比べものになりません。こうした非常事態が続いても人間は良くも悪くも環境適応力がすこぶる高く、いわゆる「慣れて」しまうものですが、子どもたちへの影響と、それを補うどんな働きかけができるかを、大人たちは考えていかなければならないと思います。

疫病の流行はストレスですから、何かのせいにしたくなるのが人間の心情です。かつては疫病が流行るたびに、疫病神の仕業や失脚した時の権力者の呪いなどとされてきました。現代はまた違った形で、「見えないもの」「自分から遠いもの」のせいにしがちです。噂や根拠がない話が出回るのも繰り返す世の常。不安と苛立ちは、見えない敵を生み出すのです。しかし実は、その「敵」も「悪」も自分の中に棲んでいるものかもしれません。

 コロナのために「本当に正しいかわからない」様々な気遣いをするのがうっとうしいものであることは確かですが、その是非を云々するだけでなく、目の前の今を生きる子どもたちに「自分が」何ができるのかを考えることも大事だと思います。「自分軸」で大人が生きることで、子どもたちが支えられることはたくさんあります。

大変な時代にあることを嘆くだけではなく、今この瞬間に、かけがえのない、素晴らしい子ども時代を過ごしている子どもたちに、いっぱいの希望と光を私たち自身が生み出して行けますように。

(この連載は毎月満月・新月の更新です。次回は6/10新月の更新です。)

ABOUT

虹乃美稀子東仙台シュタイナー虹のこども園 園長
園長および幼稚園部担任他。
公立保育士として7年間保育所や児童相談所に勤務後、2000年に音楽発信ホーム「仙台ゆんた」を開き、アンプラグドのライブ企画など行う。
並行してシュタイナー幼児教育者養成コースに学び、南沢シュタイナー子ども園(東京都東久留米市)にて吉良創氏に師事。
08年仙台ゆんたに「虹のこども園」を開く。
民俗学とロックとにんじんを好む。1973年生まれ、射手座。

著書
『小さなおうちの12ヶ月』(河北新報出版センター)
『いちばん大事な「子育て」の順番』(青春出版社)