幼児期には、「感覚を育てる」ということがとても大切だと言われます。
一口に、「感覚」と言ってもその言葉の持つイメージは人それぞれかもしれません。感覚とは、なんでしょう。
一般的には、「感覚」は具体的には「五感」ーいわゆる「視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚」を指して呼ばれることが多いですね。 そして「直感」や「虫の知らせ」などと呼ばれる、超感覚的に察知するものを「第六感」と呼んだりするのは日本だけではなく、世界共通の表れのようです。
シュタイナーは私たち人間は「12の感覚を備えている」と言っています。
12もあるのかと驚かれるかもしれません。 中には「熱感覚」とか「自我感覚」とか、聞き慣れない言葉も含まれています。
この12の感覚の中で、特に「身体感覚」に位置する触覚、生命感覚、運動感覚、平衡感覚の4つの下位感覚は、幼児期に培うべきとても大切な感覚で、人間形成における「土台の感覚」とも言えるものです。
この中で「生命感覚」というのは一般的にあまり使われない言葉です。
「生命感覚」というのは、眠気や空腹、体調、疲労など、自分の能力や耐えられることの限界など体の内部で感じ取る感覚のことです。
「調子がいい」とか「体調が今ひとつよくない」と言ったことを感じ取るのもこの「生命感覚」の領域ですので、「体調感覚」とも言い換えることができます。
「眠いですか?」「お腹が空いてませんか?」「喉は乾いていますか?」と言った質問に、鏡を見なくても内的に感じて答えられるのはこの感覚が働いているからです。
この感覚の身につけ方は、人それぞれ違いますが、生命感覚はスペクトル上で感じとられるものです。
飢えるほど空腹な状態がマイナスに針の振り切った状態だとすれば、食べ過ぎて気持ち悪くなってしまうのがプラスに針の振り切った状態。
だとすれば「ちょうどいい加減」の真ん中は、「腹八分目」と言ったところでしょうか。
極度な睡眠不足、心を病むほどの過労、なども針の振り切った状態です。
「痛み」というのも、生命感覚の極端な表れと言えます。
つまり、生命感覚は、まさに生命の警告システムであると言えるのです。
ちょうど良い「真ん中」の状態を知ることができるのが、生命感覚の健全な働きですから、その真ん中の状態を知るためには、そこから逸脱した状態を知ることも大切です。
現代は、子ども達が肉体的な疲労から必要以上に保護されがちです。
例えば、授乳のリズムが適正であることによって、リズムを持って細かく空腹を感じることができます。泣き始めるとすぐにおっぱいを与えられる、お腹が空いたというとすぐに食べ物を与えられていると、真ん中から外れているという感覚を知る機会が初めから奪われてしまうのです。
こうしたことが過剰であると、成長した時に、何がいつ必要で、いつ十分になったのかを感じ取ることができない、病的な食習慣を得てしまう場合もあります。
同じように、ひとつのことを一定時間続ける努力や、ちょっとしたことを辛抱するという経験も成長するにつれて少しずつ大事になってきます。
そうした経験が必要になる目安は、子ども達が教えてくれます。
トイレに行くことや、空腹を忘れて遊び込むことができるようになってくる、おおよそ
4歳くらいの時期です。
この頃になると、少しの「頑張り」や「我慢」ができるようになってきます。
お腹が空いても夕ご飯まで我慢、とか少し疲れても、長めの遠足を歩く、重いものを持ち上げたり、押したり、という体験は心地よい達成感も生み出してくれます。
自分がどれくらい頑張れるか、またはそれ以上無理をすると体を壊してしまうか、といった自分にとっての「中庸」を知ることを育てるこの大事な感覚は、自分の体の健康的なあり方や節度、自分の能力の可能性と自信、自尊心などを培ってくれます。
健康な生命感覚は、健康な思慮分別を身につける手助けをしてくれます。
大人もまた、痛みや疲労なしには、何も学んだり身につけることができないのと同じです。
適度に健康的な在り方、バランスの良い生活習慣を身につけることが、生命感覚を培う大事な要素になります。
(この連載は毎月満月・新月の更新です。次回は7/29満月の更新です。)
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