小さな声が聞こえるところ9「男の子のマリアさま」

アドヴェントに入り、園では毎日生誕劇が行われています。
子どもたちはこれをとても楽しみにしています。
いつも以上に早く幼稚園に行きたくて、お家でもそわそわしているそうです。
発表会のような誰かに見せるための劇ではありません。
子どもたち自身のための、毎回が本番の、とても神聖で厳かな時間です。

「見せる」という行為は、「見られる自分」や「人の視線」を意識させるものですから、「自分」という意識をぼんやりさせておいてあげたい幼児には必要のないことと考えています。
幼児にとっての劇遊びは「演じる」のではなく「そのものになる(一体化する)」ような経験です。
ですから、選ぶ題材も大切になってきます。

本番のための「練習」というものがなく、初回から毎日が「本番」です。
はじめての子でも、担任の歌と言葉で、劇が進行していくように構成されています。毎日繰り返していくうちに、次第に担任の言葉に声を重ねるようにしてセリフを言えるようになる子もいます。
どんなに小さな声でも、構わないのです。
いえ、言えなくたって、構わないのです。
それよりも、みんなで一つの物語の世界に没頭していることの素晴らしさが、そこにはあります。

配役は、毎日変わります。
年少さんは、複数用意されている羊や天使の役が多いです。
年長さんはマリアやヨゼフ、大天使ガブリエルなどの主要な役を交代で経験していきます。
生誕劇の絵が描かれているところのそれぞれの役に、自分の「おしるし」が貼られている配役表を、この時期は登園すると一番に確認しにいきます。
配役表は、毎晩天使さんが決めてくれると話しています。
先生は関与できない仕事、ということにしているのです。
そこには、自ずと自分に割り当てられた役への畏敬の念が生まれます。

男の子がマリア役をすることもあります。
クリスマスは、神の子イエスがベツレヘムで生まれたことを祝うというキリスト教の祝祭ですが、シュタイナー教育ではもう一つの意味も考えています。

それは、毎年冬至という自然界がもっとも闇に包まれる頃に、私たち人間は自身の中にも、霊的、そして精神的な光が新たに生まれるということを感じる季節であるということです。
そして、本来誰もが持っているそうした神の似姿としての「内なる光」を確かめあうような祝祭なのです。
私たちの魂は、光を受け入れる器となります。マリアのように。
ですから、マリアが女の子だけの役、ということにはならないのです。

今日も、年長の男の子がマリア役を務めました。
朝に配役表を見た時には「あれ?反対になってる??」とつぶやいていましたが(女の子がヨセフ役でした。笑)、それはそれは神妙にマリアになっていました。
クラスで一番体格が良く、力も強い男の子です。
その子がとても神妙にマリアになって、光の子どもを馬小屋で抱いている時に、皆がそれをまた真剣に見守っていました。
性別を超えた、人間存在の光というものを、幼児は確かに持っています。

それはとても尊い時間で、本当に「まことの光」に包まれているようでした。
担任も助手も、終わった後に思い出して涙を浮かべてしまうほどでした。

日本では昔から「子は宝」と言いますが、子どもというのは本当にどの子も「神さまの子ども」なのだなと思います。
そうした子どもたちとの暮らしは、大人が畏敬の念を持って接するほどに、その尊い光を見せてくれるものです。
こうした日々をともに過ごさせてもらっていることに、心から感謝しつつ、クリスマスまでの日々を温かに紡いでいこうと思います。

(この連載は、毎月新月・満月に更新されます。次回は12/23満月の更新です。)

文・虹乃 美稀子(園長兼クラス担任)
仙台市保育士として7年間勤務後、シュタイナー幼児教育者養成コースに学ぶ
06年 園の前身となるシュタイナー親子クラスをスタート
08年 「東仙台シュタイナー虹のこども園」開園 
仙台、東京、岩手にてシュタイナー講座を通年開催 
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