小さな声が聞こえるところ31「キャラクターに邪魔されない」

  今日の話題は「キャラクター」です。
いつの間にか、保育現場にまで浸透するようになったテレビのキャラクター。
子どもが大好きだから、という理由でキャラクターのついた服や靴、雑貨など買い与えてしまうことも多いもの。気づけば子どもの生活空間は、いろいろなキャラクターであふれています。

園では、キャラクターのついたものを身につけたり、持ってきたりしないでくださいね、とお願いしています。
それは、どうしてでしょう?

アンパンマンマーチの歌は、私も好きです。
東日本大震災の時には、弱った心を随分と励まされました。
やなせたかしさんの原作も素晴らしい。
でも、やっぱり、子どもの暮らしにはアンパンマンにしろ、ポケモンにしろ
キャラクターって余計な存在だなと感じてしまいます。

キャラクターは子どもが飛びつくように商業的に計算して作られているので、
子どもが気にいるのは当たり前。
買えば買うほど、もっと欲しくなるように作られています。
「〇〇が付いてないと嫌!」というように、子どもの要らぬこだわりを増やすのです。
それって、自由ではないですよね。むしろ不自由さを作り出しています。

水が飲みたい!という時に、コップを選んでしまう作業が入る。
お風呂から上がりパンツをはく時に、どのパンツがいいかでゴネてしまう。
キャラクターが子どもが集中するべき生活場面をいちいち邪魔してしまうのです。
子どもは集中しないと、まだコップから水を飲むことも、パンツをはくことも上手にできないのに。

最近の保育現場では、アンパンマンなどキャラクターの顔がどーんと胸に描いてあるようなエプロンを身につけている先生をよく見ます。
「子どもが喜ぶから」なのでしょうが、子どもからすると、
大好きな先生に抱っこされてるのか、大好きなアンパンマンに抱っこされてるのかわからなくなってしまいます。

「わからなくなるわけはないでしょう」
と思われるかもしれませんが、7歳くらいまでの幼児は、感覚器官が世界に向けてすっかり開かれており、視覚も聴覚も触覚も全て、ダイレクトにその印象を受け取るような状態なのです。
情報の取捨選択ができないので、良いも悪いもなく全てを取り込み、自分のものにしていきます。
まさに「三つ子の魂、百までも」なのです。

あちこちにキャラクターが蔓延していると、
そのキャラクターの生み出す世界観も含めて自分の感性の中に取り込んでいきます
そうした商業的に生み出された感性がしみ込んでしまうと、誰しもが本来持っているオリジナルの芸術的感性も侵されていってしまうのです。
芸術的感性は何も、音楽や美術の分野だけで発揮されるのではありません。
その人自身の世界の捉え方、言葉の使い方、生き方そのものに影響する大事な感性です。
こうしたその人なりの芸術的感性が蓋をされたまま、
大人になって「個性」や「自分らしさ」を求められるのはとても辛いことになるでしょう。
幼児期の感性の育ちは、一生に渡る影響をもたらすのです。

(この連載は毎月新月・満月の更新です。次回は11/12満月の更新です)


文・虹乃 美稀子(園長/担任)
仙台市の保育士として7年間保育所や児童相談所に勤務後、
シュタイナー幼児教育者養成コースに学ぶ。
南沢シュタイナー子ども園にて吉良創氏に師事。
06年、園の前身となるシュタイナー親子クラス開設
08年、「東仙台シュタイナー虹のこども園」開園   
仙台・東京・岩手にてシュタイナー講座・子育て講座を通年開催 
new! 19年8月「小さなおうちの12ヶ月」(河北新報出版センター)出版 

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