西内ミナミさん。記憶を辿って、ハッとしました。
絵本「ぐるんぱのようちえん」の文章を書いた方です。
私が最初にこの絵本に出会ったのは、幼稚園の時。
月刊「こどものとも」の月々の配本として手にしました。
初版は1965年ですからもはや60年近く前となりますが、古さを全く感じさせないまま累計249万部のベストセラーとなっています。
子どもの頃に読んで大好きになり、それから保育士になって30年、ずっと子どもたちに読み聞かせてきました。
この絵本は今でも子どもたちにとても人気です。
ひとりぼっちの象のぐるんぱは、いつもさみしがってばかり。
ひとりぼっちなので、「すごくきたなくて、くさーいにおい」もしています。
仲間の象たちに、汚くて臭くていつもぶらぶらしているからと、町に働きに出されます。
ぐるんぱは張り切って、ビスケット屋さんやお皿屋さんや、靴工房やピアノ工場や自動車工場で働くのですが、どれも象が作る巨大サイズのものばかりで、仕事にならないと追い出されます。
またひとりぼっちになったとしょんぼりしているところに、子どもが12人もいて忙しく働いているお母さんに、子どもの面倒を見てくれと頼まれたぐるんぱは、そこで自分が追い出された働き先で作ってきた、巨大なビスケットや靴やピアノや自動車を子どもたちに提供して「ようちえん」を開くのです。
たくさんの子どもたちが、大きなお皿をプールにして遊んだり、巨大ビスケットをかじったり、大きな靴でかくれんぼしたりしています。
グラフィックデザイナーの堀内誠一氏が手がけたカラフルで愛らしい絵と共に、なんとも心のワクワクする最後の場面です。
私が大人になって、自宅に幼稚園を開くことになる根っこに、このぐるんぱのようちえんのイメージがあるのは間違いないと思います。
「ようちえんって、開けるんだ!」と幼い私の中に、刷り込まれたのでしょう。
そして、とても楽しい絵本になのだけれど、心がしんみりする一節があります。
ぐるんぱが12人きょうだいの子どもたちと遊び始めた時に、あっちからもこっちからも子どもが集まってきた、というシーンです。
「ぐるんぱみたいに ひとりぼっちのこどもも たくさん きました。ぐるんぱは、びすけっとをちぎって、こどもたちにあげました。」
この絵本が書かれた60年代、まだ戦争の爪痕はまだまだ濃い時代だったでしょう。
戦争のために親を亡くしたたくさんの戦災孤児たち、誰も頼りにできずに路上に暮らさざるを得なかった子どもたちが、成長してそれぞれの人生を生き抜かなければいけなかった時代です。
冒頭の、ひとりぼっちなので「すごくきたなくて、くさーいにおい」もしている、と描写されるぐるんぱは、そんな路上で生きのびていた戦災孤児たちに重なって見えて仕方ないのです。
高度経済成長期に入ったとはいえ、まだまだ貧しい子どもたちがたくさんいた時代に、どの子も一緒に楽しく過ごせて、お腹いっぱいおやつも食べられる「ぐるんぱのようちえん」は平和に象徴のように描かれたのではないかと思います。
最後は「びすけっと、まだたくさんのこっていますね」と締めくくられます。
食べても食べてもなくならないおやつの描写に、お腹を空かせ続けたみんなの記憶が幾らかでも癒されたかもしれません。
それは、当時絵本を読み聞かせていた、戦中を生き抜いた大人の心にも力を与えてくれたことでしょう。
西内ミナミさんは、個人宅や地域の施設で、子どもに本の貸し出しや読み聞かせをする文庫活動も行ってらしたそうです。
改めてプロフィールを拝見したら、京都市のお生まれですが、お父様の転勤に伴い宮城や秋田の鉱山でも幼少時代を過ごされたとのこと。東北で過ごした時間もお持ちなのだと、より親しみを感じました。
21世紀になって、こんなに戦争の相次ぐ時代になろうとは、子どもの頃は考えられませんでした。
日本で戦争を経験した方々は減る一方ですが、平和の祈るバトンは私たち戦後に生まれた世代が引き継いで、子どもたちにしっかりと伝えていきたいと思います。
深いメッセージの込められた素敵な絵本を遺して下さった西内さんに感謝の思いをささげつつご冥福をお祈りします。
次回は11月13日新月の更新です。
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