小さな声が聞こえるところ148「トットちゃんのトモエ学園」

 休日の朝に母から「窓際のトットちゃん」の学校のことがテレビでやってるよ、とLINEがありました。テレビをつけるとちょうど、黒柳徹子さんが子ども時代に通ったとトモエ学園の思い出を語っているところでした。

トモエ学園は、戦前から終戦にかけて東京都目黒区自由が丘にあった私立の幼稚園と小学校です。とてもやんちゃが過ぎて、それまで通っていた小学校の先生たちから迷惑がられるようになり、個と自由を重んじるトモエ学園に転校した徹子さんの学校生活の思い出を書いた「窓ぎわのトットちゃん」は80年代に大変なベストセラーとなりました。

あまりにベストセラーであり、その大まかなあらすじはあちこちで紹介されていたために、かえって改めて手に取ろうとすることがないままでしたが、今回改めてトモエ学園の由来を知ることができました。

トモエ学園の創設者の小林宗作は大正自由教育運動に感化された人でした。
子どもたちに自由で芸術的な音楽教育をと、ヨーロッパ留学しフランスでリトミックを習得してきました。

大正自由教育運動はルドルフ・シュタイナーがドイツを中心として活躍していた時代にちょうど重なります。その頃はおそらくまだアントロポゾフィーに触れた日本人はいなかったかもしれませんが、そうした自由と民主的な社会を希求するムーブメントは地球の裏側でも同時多発的に起こっていたのですね。

昭和12年に開校したトモエ学園は、戦争に突入していった時代の軍事政権に睨まれながら、東京大空襲で校舎を消失し、たった9年間の歴史を昭和21年に閉じます。
しかしその短い期間の中に、子どもたちに与えた印象と影響は鮮烈で、黒柳徹子をはじめ、多くの卒業生たちに影響を与えたようです。

例えば、体が弱くて他の子どもたちと校庭を駆け回って遊ぶことのできなかった山内少年は、小林先生に「君にしかできないことを見つけるんだよ」と言われてから、自由時間も好きな科学の実験に没頭し、後にアメリカで中間子を発見する世界的な物理学者になったそうです。(山内泰二博士1933年 – )

また、まわりを驚かせるほどいつも突拍子も無いことをしでかしていた「トットちゃん」には繰り返し「君は本当はいい子なんだよ」と語りかけ、軍靴の足音が高まる時世の中で、憲兵に睨まれながらの教育実践に入学希望者も減っていく中、息子から教育方針を時勢に沿ったものに転換するよう意見を言われても、「教育は20年先を見て行うものだ」とぴしゃりと突っぱねたと言います。

その言葉通り、トモエ学園を巣立った子どもたちは、敗戦後民主化されて新しい国として再生していく日本を、いろいろな分野で担っていきました。
子どもだった卒業生たちが語る小林先生の在りし日の姿に、子どもたちへの、そして人間存在そのものへの愛を感じずにはいられません。

戦争が始まる中、「時流に流されず、自分軸で生きる強い意志を育てるために」、リトミックの授業で子どもたちのステップが乱れるようわざと調子を変えてピアノを弾き続け、そのリズムに抗ってステップをキープするよう導いた小林先生の思いに、今を生きる私の心にも熱が伝わってきました。

文・虹乃美稀子

いつもお読みくださりありがとうございます。
「小さな声が聞こえるところ」は新月・満月の更新です。
次回は8月4日新月🌑の更新です。

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ABOUT

虹乃美稀子東仙台シュタイナー虹のこども園 園長
園長および幼稚園部担任他。
公立保育士として7年間保育所や児童相談所に勤務後、2000年に音楽発信ホーム「仙台ゆんた」を開き、アンプラグドのライブ企画など行う。
並行してシュタイナー幼児教育者養成コースに学び、南沢シュタイナー子ども園(東京都東久留米市)にて吉良創氏に師事。
08年仙台ゆんたに「虹のこども園」を開く。
民俗学とロックとにんじんを好む。1973年生まれ、射手座。

著書
『小さなおうちの12ヶ月』(河北新報出版センター)
『いちばん大事な「子育て」の順番』(青春出版社)