小さな声が聞こえるところ74「オリンピック2020から思うこと」

とうとうオリンピックが始まりましたね。
2013年の東京開催決定前から、震災と原発事故という甚大な被害の中にあるこの国が、今はお祭りより先に優先するべきことがあるのではと思い、私は開催反対派でした。
(楽しみにしていた方にはごめんなさい)
 
心配はここまで現実化するのかとばかりに、2億円もの招致のための賄賂疑惑、エンブレム盗作騒動、国立競技場の設計案の二転三転問題、、、「コンパクト五輪」と銘打った開催費用は招致段階の7340億円を大きく膨らませ、今や3兆円にも上るそうです。
コロナ渦の中で、多くの人が暮らしに不安を抱える中、胸の痛む数字です。
 
そんな中、直前になって開会式に携わる人々の過去の「不適切行動」が露見して、辞任・解任が相次ぐ事態となりました。
 
特に話題となったのは、開会式で音楽を担当していたアーティストによる、過去のいじめインタビューに関するものでしょう。
報道を知り、問題とされている過去の雑誌のインタビュー記事の全文に目を通しました。
(報道されている抜き取られた発言の一部ではなく、特集記事全文を確認しました)
 
読んでみて「いじめ」そのものも想像を超えたものでしたが、それとともに障害を持っている人への偏見や人種差別と取れるような発言も、アーティストのみならずインタビュアーにも散見され、少なからずショックを受けました。
時代が時代だったという人もいますが、93年には「障害者基本法」が成立し「ノーマライゼーション」という言葉が盛んに叫ばれるようになった時代でもあります。
 
このインタビューが掲載された94年、私は保育士1年生でした。
その直前の学生時代は夏も冬も、当時県の肢体不自由児協会が主催している「きぼっこキャンプ」という、健常児と障害を持った子どもたちが合同合宿するキャンプのボランティアをしていました。
障害を持った子ども、と言っても様々ですがこのキャンプに集まってくるのはとりわけ重度の心身障害を持った子どもたちでした。
小さな頃から親元を離れざるを得なかった、普段は施設で暮らす子どもたちです。
その多くは車椅子で、重度の脳性マヒの子が多く、入浴も排泄も全介助。
意思疎通も言葉では難しかったり、文字盤を使ったりと多くの困難を抱えた子達が多くいました。
 

  

その子たちを健常な子どもたちと一緒に、田舎の郊外の分校をお借りしてみんなで1週間も暮らそうと言うのです。(冬季は旅館を借りての2日間でした)
網戸を作るところから取り掛かり、生活の下準備をするだけで本当に大変な仕事で、その準備はいつも一年がかりでした。

 
正直、大学の掲示板を見て気軽な気持ちで申し込んだことを後悔したこともありました。
遊びたい盛りの学生の多くの自由時間がこのキャンプのために費やされ、自分でも得意ではない集団生活を1週間もしなくてはいけないのです。
 

 

そして、もっと正直なことを言うと、重度心身障害児の子どもたちと接することは、保育実習で出会う子どもたちと向かい合うのとは全く違う難しさがありました。
言葉だけでないコミュニケーションと気配りが常に求められます。
しかし、他のボランティアのように大きなリアクションをして笑わせたり、歌ったりおどけたりして喜ばせたりすることは苦手。
でもただ黙って寄り添っているだけでは、いつまでたってもコミュニケーションは深まらない、、、、時に苦行のようにも感じる時間を重ねる中で、少しずつ、少しずつ、その子のことを「好き」になっていくのです。

トイレで排泄介助をしながら、汗みどろで自分以上の体格の子を温泉に入れる介助をしながら、ワガママを言われてそれは飲むわけにはいかないと抵抗しながら、、、

そのためには1週間と言う時間は、最低でも必要な時間だったのです。
自分にとってとても掛け替えのない経験をさせてもらったと思っています。

しかし、今でも自分の心に小さなしこりを残しているような記憶もあります。
例えばそうして仲良くなった子どもが、キャンプが終わってから、日曜日の早朝に実家に電話をかけてきたりします。こちらは普段は朝寝上等の夜遊びをしている学生です。
早朝に電話で起こされ、その受話器の向こうで、聞き取ることの難しい発声で、つまり返事をするのがとても難しい会話を求められる時、「こんな朝早くに急用もなく電話しないものだよ」と言ってしまったことがありました。

情緒が不安定で、依存的な関係性を求めて、繰り返し連絡をしてくる女の子もいました。
いずれも若い自分にとっては時に億劫に感じられたり、またそう感じる自分に罪悪感も感じたりしながら、それでも試行錯誤しながら付き合いを続けていきました。

若かった自分にとって、人間関係はこうあるべきもの、と言う枠はまだとても狭く、全く違った条件で生を受け、違った環境で過ごしてきた人とやりとりをすることは、全てが異文化交流。キャンプ中なら意識して努力できても、普段の日常の中に入ってくるとまた違う難しさがありました。

でも、この難しさ、億劫と感じる気持ち、しかしなんとか寄り添いたいなと思う気持ち。
この葛藤そのものがとても大事なことだったんだなと今は思います。
近頃盛んに使われる「多様性」や「共存・共生」と言う言葉は、こうしたそれぞれの人間の個の生活の中で、生臭く実践されてこそ意味があるのでは、と言うことです。
そうしてこうした様々な「垣根」も、例えば小さな頃から施設で育つのではなく、他の子どもたちと同様に地域社会の中で一緒に育っていければ、もっと低くなるものなのだとも思います。

「インクルーシブ教育」「多様性の保証」という意識が一般に広がったのはとても良い傾向だと思いますが、ついついそれを学校や保育現場、もしくは企業や公共サービスを担う「専門家」たちに求めるばかりになってはいないでしょうか。
 
実際に様々な人間と付き合っていくと言うことは、生半可なことではありません。
自分の時間やエネルギーを費やすこと、自分を犠牲にすることもたくさん出てきます。

「共生・共存」の価値観を求めたり賛同するだけで、自分がそれを実行していると感じる錯覚もつい人は起こしがちです。

自分の考えとは違うメディアには触れないとか、考えの同じ人たちとばかり繋がりたがる傾向が強まっていることに懸念を抱きます。
それは本当の意味での「共存・共生」とはかけ離れていくからです。
多様性の社会とはきれいごとではなく、自分が時には血みどろ汗みどろになって個としての自分を確立しながら、相手と向かい合っていくことです。
世の中には障害のあるなしに関わらず、様々な世代、境遇、価値観の多種多様な人間がいます。

「共存・共生・多様性」というお題目に逆らうように、真逆の問題が次々に露呈してしまったオリンピックを見ながら、今私たち日本人に本当に大事なことは、きれいごとのお題目を他者にお任せにするのではなく、「個」として受け止め引き受けていく自我の強さと責任感なのかもしれないと感じています。

(この連載は毎月満月・新月の更新です。次回は8/8新月の更新です。)


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ABOUT

虹乃美稀子東仙台シュタイナー虹のこども園 園長
公立保育士として7年間保育所や児童相談所に勤務後、シュタイナー幼児教育者養成コースに学ぶ。
南沢シュタイナー子ども園にて吉良創氏に師事。

2008年「東仙台シュタイナー虹のこども園」を開園。幼稚園部を中心に、未就園児親子クラスから小学生クラスまで、12年間にわたる子どもの成長を見守る草の根の教育機関として運営。
東京をはじめ、全国各地でシュタイナー講座・子育て講座を開催。

著書
『小さなおうちの12ヶ月』(河北新報出版センター)
『いちばん大事な「子育て」の順番』(青春出版社)