子どもたちを見ていると、時々「何してるんだろう?」と思うことがあります。
園庭の隅にしゃがみこんで、土をいじるでもなく、虫を探すでもなく。
空を見上げている。
何度も同じところを行ったり来たりしている。
床に寝そべってごろごろしている。
それは大人から見ると、何もしていないように見える時間です。
退屈しているように見えるかもしれません。
でも、子どもにとってそれは本当に「何もしていない」のでしょうか。

今の子どもたちは、予定がたくさんあります。
子どもたちのやることの一番大事なことは「遊ぶこと」ですが、
その他にもいろいろなお出かけの予定があったり、
習い事があったり、動画を見たりと
「何かをしていること」が当たり前になっています。
大人もまた忙しい時間を過ごしているので、
何もしていない時間というのはなんだか心にぽっかり穴が開くように感じる人もいるかもしれません。
でも子どもたちは実は、
同じ遊びややりとりを繰り返したり、
木の枝や石ころをただいじっていたり、
車の窓からぼーっと流れる景色を眺めていることも、
とても大事だったりします。
何もしていないように見える、退屈そうに見える時間の中で、
子どもたちは世界に出会い、世界を感じ取りながら
まだはっきりと芽生える前の「自分」という自我意識を形成しているのです。
大人が幼児期の記憶を思い出す時、
それは特別な思い出ではないことが多いのではないでしょうか。
雨上がりにおじいちゃんに手を引かれ庭先に出たこと。
ひとりで土いじりしていた昼下がり。
お父さんと一緒にお風呂に入ったこと。
感覚体験とともに、まだ未分化のはっきりとしない、
温かかったり暗かったりする感情が
滲み出てくるような記憶たち。

こうした経験をたくさん重ねながら、
子どもたちは成長し、「自分」という意識をゆっくりと育てていきます。
そう、子どもたちにはこうした暮らしの中の「余白」がとても必要なのです。
「余白」は、何かを「経験させられている」時にはなかなか生じにくいものです。
今は、子ども向けのイベントやワークショップもたくさんあり、
「特別な」「非日常の」経験をする機会は多いです。
一方で、繰り返す日々の「暮らし」の領域はどんどん忙しくなり、省略されることが増えています。
子どもは「経験させられている」うちは受け身の姿勢です。
実は「ボーッとしている」ように見える時の方が、主体的で能動的に世界に向かっているのです。
不思議ですね。
ボーッとしながら、自分の呼吸で世界と向かい合い、世界を感じ取っているのです。
ここが大人と子どもは大きく違うところです。

大人は、子どもから「暇」を奪わないようにしましょう。
何もしない時間を、何かをする時間に変えようとしなくてもいいのです。
子どもには、子ども自身の時間があり、それが子どもが子どもらしくいることを保証するということなのです。
そしてできたら、忙しすぎる私たち大人も時にはボーッとする時間を一緒に過ごしたいですね。